いとっち
まず、 「女性が産廃?」
と疑問を持たれた方も多いでしょう。
私が産廃会社 あさひな を
経営するに至った経緯を少し説明させて下さい。
1970年(昭和45年)8月30日
静岡市で朝比奈家の一人娘として生れました。
私が生まれた頃、母は専業主婦でした。
父の職業は・・・実はあまり明確に覚えていないのです。
ダンプの運転手をしていた記憶もあるし、
石材を運ぶ姿も記憶にあります。
なので、結構頻繁にお金のことで両親が言い争っていた記憶があります。
私が小学校1年生の時に、父が友人から
産廃業のことを聞いたと言っていたことを思い出します。
それからは、家族を養わないといけない!と思ったのか
軌道に乗ったからか職を変えることがありませんでした。
これが産業廃棄物収集・運搬業 あさひな の始まりです。
但し、当時父がつけた屋号は 中央商工物産 という名前でした。
平日は、私は学校に行っていましたが長い休みは、一人っ子の為
トラックの真ん中に座り毎日付いて行きました。
産廃業が今のように産廃BOXが主流ではなく、
現場や企業の廃棄物置き場に取りに行きました。
いつも家のFAX用紙排出口には現場を示す地図でいっぱいでした。
現在のようにナビがないので、
事前に地図で調べたり現場の付近で人に尋ねながら現場に辿りつきました。
現場でゴミを処分場まで持っていく
幼いながらも家の仕事の流れを理解しました。
当時は個人情報保護法がなかったので、
学校には名簿が存在し、親の職業名を書く欄もありました。
いつもそこには
防水工事業
防水工事とは主に屋根のお仕事ではないのかと思っていました。
ゴミを運ぶ仕事なのに、どうしてそういう風に書くのだろう?
子供ながらに思ったものでした。
その謎は、なぜか去年参加した産廃協会の講習で解決しました。
当時は産廃業は公言できない職業であったようです。
しかし現在の世の中は ゴミは適正に処理しよう!、
いう流れなので、正々堂々 産廃業
と名乗れるようになったという事を知りました。
父が私を育てなければ!と思って始めた産廃業。
自分の代だけでいいと思っていたのだと思います。
社会人になった私には、一切産廃業の事は語りませんでした。
私には、でき得れば お婿さんをとって欲しい
という期待だけ聞いて育ったため、
自分の将来についてはあまり真剣に考えていなかったように思います。
親の ‘手に職を付けた方がいいよ、薬剤師がいいじゃん!’
そんな言葉に飛びつき、薬剤師を目指すことにしました。
実際に、国公立大学の薬学部に入学するには私の実力からは
ほど遠いものがありました。
あなたは、実力がないのだから推薦で と言う担任の一言で
薬学部は推薦試験を受けるも玉砕でした。
そんな頃
やはり実験器具を触った職業に就きたい!
やっと、やりたいことが見つかりました。
同じく推薦で理学部化学科に合格しました。
浪人をすればよかったのですが、受験勉強はもうこりごりだったので、
そちらに入学することに決めました。
当時は本当に、勉強は大嫌い。勉強3割、社会勉強7割でした。
先輩方に誘われて、ボーリング、人生初のビリヤード、
誰かの部屋での大人数での飲み会などなど・・・。
本当に楽しく充実した大学生活を過ごしました。
先輩方の就職はバブル絶頂期。
内定が決まれば海外旅行にご招待されていました。
そんな期待もバブル崩壊とともに、
一気に就職氷河期へ突入しました。
それでも実験器具を触る職業に就きたかったので、
せっかく大学でも地元にいたのに、
敢えて大阪の化学会社へ入社しました。。
途中医薬事業部に配置替えとなりました。
社会人ももうすぐ2年が終わろうとする頃、
阪神・淡路大震災を経験しました。
そろそろ地元に戻るように、という親の勧めと
自分もその企業に就職したかったので、
震災前に決まっていた焼津の企業にUターン就職しました。
そこで知り合った人と結婚し、
私のような契約社員には育休がなかったので、
お腹にいる息子が8ヶ月の時に退社しました。
第2子である娘の小学校入学を機に、
コンビニで社会復帰を果たしました。
家業の産廃なんて何も考えていませんでした。
その後、古本屋、100均、ドラッグストアの店員、
保険屋事務などをしました。
その中で、仕事の優先順位を考え、
効率よくこなす術を習いました。
36歳の時に父が他界。
その後母が産廃業を継ぐも、私には
一切関係ないという立場を貫いていました。
母は母で産廃業を営んでいましたが、
母が脳腫瘍のため入院・手術することになりました。
術後半身に麻痺が残り、産廃業を続けられなくなりました。
お客様もそのままの状態だったので、急遽
女である私が
産廃業の許可を取り継ぐ事にしました。
一人っ子だから継ぐとなれば、私だけですので。
当時主人は、自分の希望職種に就いており、会社員でした。
2010年に開業届を出し、今に至ります。
母は 屋号を アサヒナ としていました。
私に代が変わった時にもっと
オシャレなネーミングにしようと思いましたが、
古くからのお客様が あさひな さんのところは・・・
と使って下さるので、
ひらがなに変更するのみとしました。
結果、女性で会社経営をしているので、
柔らかなイメージに繋がってよかったと思っています。
まだまだ自分自身も日々勉強中です。
時には経営するプレッシャーに押しつぶされそうになりますが、
お客様の感謝のお言葉が励みとなり、続けさせて頂いております。
今後は今まで以上に、走り続けたいと思います。
あさひな の‘売り’は
「楽」・・・ゴミの分別不要
「速」・・・収集希望日に合わせて即対応
「省」・・・手積みをする事で容積を圧縮 です。
通常の産廃BOXと違うじゃん!
これなら、うちの産廃排出形態に合ってる!
ちょっと話を聞いてみようかな!
と思った方は、メッセージ下さい。
お待ちしています。
マイプロフィール